みなさん
こんにちは。 Sylban Lakeは7度になりました!!!
朝晩はマイナスですけど、ね。これはもう、春なんですう~。
先週のある夜に、TVで「Stepford Wives」というニコール・キッドマンの出ている映画が放送されていて、途中からだったのですが見ていました。
ロボットのように、そして男性の思い描く理想の専業主婦として存在する女性たちがいる町。その町に新しく越してきたジョアンナ(ニコール)も、操られてしまいます。 ところが、この、男性の理想としてロボット装置をデザインしたのは、実は女性だった、というところがなかなか面白い、と思ってみていました。ちょっと古い映画ですがご覧になった方はいますか?
何せ途中からだったので、監督とか、話の内容とか、ちょっと調べたくて次の日にネットでガチャガチャ・・・。すると、このお話は1970年代につくられた、もうちょっとSFサスペンス調の映画のリメイク版だったことがわかり、早速そっちを見てみました。
Katharine Rossという女優さんがジョアンナ役ですが、ま~美しいこと。 その友人役の女優さんも素敵です。 この映画を見た日は、なぜか家でお菓子を焼いたり、おとなりにシチューかなんかを作ってお鍋ごと渡しにいったりというシーンが焼き付いてしまって、すぐ影響される私は、ちょっとおかしくなりそうでした。(だからサスペンスは見ないようにしているんですけど、つい、ってことありますよね?)
翌日、触ってはいけないと言われたものに無性に触りたくなるように、べつにいけなくはないんでしょうけど、操られているという妄想体験をしている状態になりながら(ちょっと馬鹿みたいですが)、バナナのシフォンケーキを焼く自分・・・。 そしてそれをさらに、大家さんに持っていくというところまで続きます。
そしてこの後、サスペンスのようなことは起こる・・・はずはなくですねえ、ケーキもおいしくでき、大家さんともいろいろお話しでき、次の日も会う約束までできたわけですが。
それにしても、二つの映画の違いがそれぞれの時代を反映しているようで面白いなと思いました。
女性は欲張りだよな、と思うんですが、どうでしょうか?
もっとも全ての女性がそうではないでしょうけど。この時代に選択はいっぱいあるから、自分の好きに生きればいいだけだ、と思い、「~すべきだ」という型からまたちょっと外れることができたような気がした、そんな体験でした。 決してこの2つの映画がそう語っていたわけではないのですけどね。
もうちょっとウンチクを続けさせてください。
昔、短大時代(あは、女子だけ~)、Women's Studiesというクラスがありました。
アメリカでは一つの学科にもなっている、と後で知りましたが、ま~いろいろな学科があるものです。
それました・・・。 クラスを担当する講師はアジアンアメリカンのとても素敵な女性でした。女性は働くべきと思うか、とか、結婚はどう思うか、とか、そんなようなトピックでクラスが進行していた気がします。 結婚に関しては、当時ある宗教の合同結婚が話題に上がっていました。先生は、「どんな形をとっていても結婚の本質を心得ている」信者の言葉を例として出したのを覚えています。それは、説明ではなくて、ただ信者が「結婚とはそういうものではないですか」とか、「では結婚とはどういうものですか?」と聞き返しただけの言葉でした。
先生がとてもアクティブな方で、大学で授業を教え、格好もセンスがあり、スタイルもよく、それでいて子持ち。 日本人ではないけれど、日本での親のいない子供たちの施設などの援助をしたり、本当にバリバリな方だったせいでしょうか、私は当時、「女性はこうでなくてはいけないんだな」とかってに思い込んでいた気がします。
でも、今思い出すと、先生は決して「正解」のようなことはおっしゃらなかった気がするんです。 今でもこの学科やトピックには興味があります。少なくとも、どんな女性たちがどういうことを経て変化していき、今はどうなっているのか、などのアーカイブ的なことに。その反面、Women's Studiesなんて、複雑で答えは出ないし、考えるものではないなあ、と思っているのも本当です。
比較的女性が多い環境で生きてきた私ですが、どんな選択も、自分がよかれとおもって選び、幸せになりますように。なんせパーフェクトなんかないですものね。
あ、この最後のフレーズは、映画のフレーズでした!
コメディータッチのほうが見たい方、新しいほうを、サスペンス(でも見ごたえあります)が見たい方は古いほうを、ぜひ~。えー・・・映画の宣伝で本日閉めます。
今日からイースター休日3日間(ダーリン)。またお便りします。
Shizuko