先日、無神論者とかなりの信仰者との討論について触れたけども、自分はどう思っているか、ということが、「意外と大切になってくる」のを、外国で暮らしていると感じます。 というのは、やはり、そういうことを日々考えて自分の考えを持っていないと、強く信じているものをベースに持っている人々に触れることが多い環境では、相手との違いを尊重することもできない、という気がするからかと思います。
「環境汚染の妊婦時に及ぼす自閉症児出産の影響」というリサーチがあることをダーリンが友人と電話口で話していたので、ちょっと興味があり原稿を送ってもらい読んでいたところ、自閉症だけじゃなく、いろいろな神経系の変形遺伝子による症状があtることに興味を持ち(内容よりもそっち・・・)、知らない症状が多かったために調べていたことろ、ふとしたことから行きついたYoububeの映像がありました。
たどり着いた映像は、小さいとき(といっても2,3歳のときですが)に実の父親から虐待を受けていた女の子が、教会の神父夫婦に養子として引き取られたあと、受けた虐待が彼女に与えたトラウマのドキュメントでした。 題名からしてヘビーではあったのですが、感情だけに引き込まれない練習とおもって(いったいなんのためにとお思いでしょうが・・・)、クリックしたら、なかなかいろいろなことを考えさせられました。
引き取った神父夫婦は彼女と同時に、彼女より年下の男の子を引き取っています。過去の虐待のことは始め知らなかったとのことで、彼女の残酷ないたずらが頻発するので、セラピストと相談し、彼女は一時的にこの夫婦から離れて養寮所でセラピストとともに暮らすことになります。
彼女を養女として引き取ったこの夫婦は実に寛容で、終始落ち着いていて彼女への愛情も十分に持っているように見受けられます。養療の決断は彼女のためと、弟の身を守るためでもありました。
セラピストたちと暮らす家では、しつけも厳しく、すべて了承を得てからしか行動できません。 食事の前にテーブルを拭くのも彼女。きちっとお祈りをして食事し、後片付け。 セラピストたちは幼いこの少女を厳しいながらも愛情で包もうとしてあげていました。
過去に小鳥を握りつぶして殺し、そのことに関して感情というものがなく、悲しさ、罪悪感、うれしさ、というものが麻痺してしまった状態だった彼女が、動物にエサをあげる役割を与えられ、えさを与えるときも信頼や愛情とともに与えること、撫でてあげること、などを学んでいきます。 教会での勉強もあります。 約1年弱だったと思いますが、ちょっと大人になった彼女に、以前と同じインタビューをします。
セラピスト:「一番苦しめた人は誰?」
少女:「弟」
セラピスト:「今そのことに対してどんな気持ち?」
少女:「・・・・・。悲しい。」
以前は気持ちを聞かれても、表情を変えず淡々と質問に答えるだけで、悪いことの認識を全くしていなかった彼女ですが、この時は自分のしたことに対する思いが涙とともに痛くこみあげてきて言葉を詰まらせます。とはいえ、彼女のせいではなく、トラウマになった出来事のせいだと思うと、本当に小さいときに与えられる愛情の大切さを思い知らされます。 彼女はこれからもセラピーを続けることが要されるとのことです。
虐待についてはもちろん考えさせられるのですが、私が考えていたのは、たとえば自分の子供がある程度大きくなってから、いいこと悪いことを教えるときに、悪いことをと悪いとわからせるためにどう教えるかなあ、ということでした。
ある程度は理論でわからせることができるでしょう。赤信号で渡らないこととか、マナー的なこと、白黒はっきりしていることっていうのはあります。 しかし例えば、間接的で隠された悪的なことに関しては、どう説明するだろう、ということです。
おそらくこの少女は、「神がすべて見ている」「神の名において」という教育を受けたのではないか、と想像します。 私はどの神という名前は指定しないし、かといって多神教者でもありませんが、こういう時はカルマとか、スピリチャル的発想を含めずには考えられないんじゃないかな、という気がします。
なかなか重い(?)内容になったかもしれません。
映像を見た後の私はそれなりにやっぱり下がりましたが(あ、やっぱり)、大好きな人、友人たちを思いだし、この自然に癒され平和です~。
あれ、夕立が来そうです。イエ~イ!
どうぞ、良い週末をお過ごしください。
Shizuko