年の初めから、いろいろな事件が相次いでいますね。
本日は最近見た映画から。劇場に足を運ぶこともせず、Youtube, Netflixに頼ってみることが多いですけど、特に昔の映画は、悪いけど「Youtubeありがとう」というしかありません (これは確信犯の自認?)。最近、ず~っと美術館の絵を眺めているような、美しい詩をゆっくり噛み砕いて聞いているような、そんな映画を見ました。
1978年に公開された映画で邦題は「木靴の樹」。イタリアのエルマンノ・オルミ監督の作品ということですが、英語のサブタイトル付きを見つけて早速鑑賞へ。
イタリアの農家を営む貧しい3,4家族の生活模様がずっと映し出されているのですが、ストーリーのクライマックスは、まだ10歳に満たない息子の壊れた木靴を作るために村の樹を切り、その罪として生活の糧となっている牛2頭も家も没収されるというもの。と、これが3時間には及びませんが、長い映画の最後の場面です。ここにたどり着くまでに、永遠と人々の生活や風景がただただ描かれ続くだけで、見事に描ききられて引き付けられていくという、そんな映画でした。
この父親の犯した罪の何倍も悪であるだろう罪は、罰せられずに隠されたままということのほうが多いだろうに、何とも慎み深く信仰深い農民たち。うっかり犯している我々夫婦間の罪のほうがもっと罪深いだろうに。もう少し世界を広げたとして、ないもしないで見ているという罪もきっとあちこちに。
もう一つ「The Hill (邦題「丘」)」という映画を見ました。こっちはもっと古く1965年のもので、ショーン・コネリーが主役を演じます。なぜこの映画を見たかというと、ある番組でアンジェリーナ・ジョリーが影響を受けた映画監督に、この映画のシドニー・ルメット監督とこの作品を上げていたのを聞いたからなんですけどね。それから余談ですが、この映画の中のエキストラの人達の体操をしている姿が、どうしてもピラティスエクササイズと重なってついそっちに目が行ってしまいました。昔のピラティスの映像なんか見ると、やっぱりどっかミリテリーぽいんですよねえ・・・。
それにしても、ショーン・コネリーは若き頃も年配になっても麗しいとしか言えませんが、それはさておき、こちらの映画は正義を証明すべく挑む姿が描かれています。罪の大きさや本質を問わず、因人へのリンチなど今も昔も変わらない役人達。罰しているつもりのその役人の罪は問われずしていいのか!という所を、ジョーン・コネリーが役の中で挑みます。
誰がどう罰すればいいのか。 個人で罰することが解決策ではないのでしょうけれど、犯すほうも罰するほうも、みんな罪びと。 謙虚に自分を罰して許すのみかしら。一年の計、いいや「刑」を考える1月、パリの事件、アメリカの警察官と人種差別、巷の隠された真実、心の奥底の偏見や人種差別、変わらぬ日常、ここに生きているという証。 固いかな。
良い週末をお過ごしください♡
Shizuko