焦りと落ち着きーCalm And Impatient

こんにちは。 先日、家のすぐ前の駐車場に3匹のシカが食べ物を探しに来ていました。そのまま道を横断し、薬局やスターバックスのある駐車場までわたり、その辺の草をしきりに食べていました。

 

この日はまた動物の横断を目撃。それが写真上ですが、写真だと、なんとなく急いで渡っているようにも見えると思います。ところがどっこい、雁たちはいたってマイペース、お・そ・い。 車が10メートルぐらい並んで止まることなどめったにない道なのですが、彼らのためになかなか忍耐強く待つ車たち。 カナダでは目づらしい光景ではないようですがね。

 

先週は雪の日がありまして、写真下右はまるで白黒の写真のように白くなりました。 この時期のこういうのももう慣れてきましたよ。

本日は、うん蓄好きの方や、うん蓄という栄養がほしい方のために、シェアできたらいいなと思います。 マルクス・アウレリウス(Marcus Aurelius)という121-180年に生きていた16代目のローマ皇帝かつStoicism(ストア派)という哲学を貫いた人からの言葉です。 彼の書いたMeditationsという著作があります。これは日本語だと「自省録」と出てます。 Meditationというとなんだかヨガの世界だけかと思ったけれど、地球のあちこちでやっぱり同じようなことって起きているんですね。どっちが先かということは、まあ置いといて。

 

その名の通り、禁欲的というか、攻撃的でないところが神道にも通じるものがあるのではないかと思うのですが、その後はキリスト教の力に押されて学校はなくなってしまった、ということです。 

 

派手で明るい趣向は大好きですけど、まあ時には謙虚で控えめな、しかし支えとなる思想が必要ですからね。といってももちろん簡単な本ではないので、解釈違いをすることも大いにあるでしょうけれど。 それも、まあいいかなと大目に甘く。

 

Book6の チャプター2の言葉:(まずは英文そのままから)

Provide you are doing your proper work it should be indifferent to you whether you are cold or comfortably warm, whether drowsy or with sufficient sleep, whether your report is evil or good, whether you are in the act of death or doing something else.  For even that wherein we die is one of the acts of life, and so even at that moment to make the best use of the present' is enough.

 

私の解釈は、「人はそれぞれに与えられた仕事を毎日こなすことが大事だけれど、その仕事というのは、肉体的には寒かったり、または心地よく温かい中だったり、だるかったり、またはしっかり睡眠をとった状態だったり、結果が悪かったり良かったり、そういう自分の趣向に無関係に与えられている。 生涯を終えるその瞬間でさえも’仕事’なのだから、様々な趣向や状態に惑わせることなく、その時その時、最大限やるべきことをやって過ごせばそれで十分だ」と。

 

それは無理に頑張れとか楽しめという発想ではないのだけれど、無駄と思われるような、ただ量だけ重ねるようなこと、例えば・・質は何であれ何年繰り返しの作業をして過ごしたとか、多くの時間をただ費やしたとか、そういことでさえも満足すべきであって、不満の対象になることはないと、その後のチャプターから読み取れます。 だからこそ、ボーとした時間さえも、どのくらいぼーとできたか、という、意識があれあば、満足につながるかな、と勝手な後づけ。

 

うん蓄は、いい栄養補給でございます。

 

 

所で、どうでもいいことではありますが、豆板醤の話を前回のブログでしましたけれど、ありましたー。字は全く違うけれど、下のほうにTOBAN DJANと書かれてました!味のほうはまだ開けててないので、日本のものどれほど同じなのかは興味深いところですが、断然お値段はこちらがお安いので、おいしいことを願って。

またお便りさせてください。

Shizuko