こんにちは。
鳥たちの声がひっきりなしに聞こえるのどかな住まいの中、テレビを見ているダーリンが「やかましい」と鳥たちにいらついています。 まったくどちらが騒音か、答えは明らかなのですが、それにしても鳥たちはおしゃべり~。
先日CNNを見ていたら、日本の北海道の6歳児が山に置き去りされて、7日ぶり?に発見されたというニュースが流れました。海外のこの類のニュースだと、まあさらーと流されるだけでしたけど、6歳の坊やのアップの写真は本当にかわいくて、この子は一生この出来事を忘れないだろう、と思いました。 この親御さんのことをあれこれ言いたいのではなく、親への罰が些細なことでこちらでは大きな扱いになる、という違いについて、なるほどね、と思うことがありました。
これはちょっと別の例になると思いますが、先日アメリカのシンシナティ―の動物園で、ゴリラのいる柵内へ入ってしまった3歳児の男の子の事件がありました。 映像はこちら。ゴリラは動物園にとってはとても貴重な、そして大切に愛護された存在だったのですが、3歳児の男の子の命には代えられない、と動物園側がゴリラを銃殺しました。 一見、男の子に何もなくてよかった、という一件落着のニュースに思えますが、その後です。 ゴリラや動物愛護の人々などがメディアを通して、「ゴリラは殺されなくてはならなかったのか」、「親は何をしていたのか」、「絶滅危惧種のこのゴリラを失ったのは、男の子の親のミスだから、この損失を賠償する必要があるのではないか」などなど、事件から一週間とたとうとしても、びっくりするぐらい終わらない報道。
CNNに出演していた一人の専門家(タイトルは忘れちゃいました)が、「確かに、いろいろな疑問もあり、確かに母親の不届きが原因で起きた、または誤った子供の扱いで起きなくていいことが起きた結果だったのかもしれない。動物園側にしたら悲劇でもあり大きな損失だったわけで、裁判にかけることもできるでしょう。 けれど、男の子は無事だった。 もっと最悪の事態も起こり得たかもしれない。この件はこれで終わりにして、次に移るべきだ。」というようなコメントをした方がいました。 私も、もういいよね、と思わされました。
これは別の事件でカナダで起きたことですが、数か月前のことだったと思います。具合の悪くなった男の子を病院に連れて行かず、代替医療で男の子を看病していて、その後病状は悪化、命を落としてしまった、という件。愛情や親心に関係なく、裁判にかけられた男の子の両親。 この両親を知っている人々もメディアでは「虐待なんてとんでもない。彼らは息子をとても愛するよい親御さんです」と。 それでも、法律では一応裁判沙汰になり虐待行為とみなすんですね。
私から見ると、あまり子供にNOといわないこちらの育て方は、「甘すぎ」て権利の尊重どころか、わがままな個人主義を育てる、と、まるで自分は意地悪ばあさんか?と思うぐらいシビアにみているところがありますが、誤って公の場で我が子をバチン!なんてたたいただけで、見ていた人々が虐待とみなし警察に通報、なんてことがともすれば起こりえないのがこちらの感覚だと聞きました。
子供は自分の子であっても個人のものではなく、社会が支え保護するという感じはいいですね。
先日、税金の明細が届き、よく見るとこの町の小学校にも私たちはお金を払っているのを知りました。これも、子育参加をしているうちに入る、と勝手な解釈で。
とにかく、北海道の男の子が無事で何よりでした。
また一日一日と、過ごせることを感謝して。
よい週末をお送りくださいね。
Shizuko